大学進学を機に上京したその日まで、東京という都市には何度か旅行や受験などで足を運ぶ機会はありました。
信号の色が変わった途端に、数百人もの人々が一斉に動きだし、それぞれ他人のことを気にすることもなく、自身の目的地に颯爽と向かっていく異色の交差点。
都会人は知らないもの同士で、ここまで寄り添うのか、、と思ってしまう程の充填率の満員列車。
挙げればきりがないですが、「東京」との出会いはいわば未知との遭遇のようなものでした。
きっと、私の目には「東京」という街がどこか輝いて映っていました。
そして、普段は両親の元で暮らしていた私にとっては、自分一人で意思決定し行動することのできたその「東京探訪」は特別な時間でもありました。
私も東京という巨大な夢に魅了された、若者の一人であったわけです。
「住めば都とはいったものの、」
初めての親元を離れての生活ということもあり、多少の不安もありました。
しかしそれをはるかに上回る期待感が当時の私にはあったので「生活してみれば何とかなる!」
という気概で、東京での一人暮らしを始めました。
当時から明るく、割と誰とでも仲良く打ち解けられる性格だった私は、異郷の地でも友達をたくさん作って充実した生活を送る自信がありました。
しかし上京してからの数年間は、ほとんど知り合いはできませんでした。
期待していたキャンパスライフは、オンラインで足りると簡易的な授業で済まされ、頼れる友人関係はともに上京してきた高校時代の友人だけでした。
上京するまでは、「人にあふれる東京にはそれだけたくさんの出会いがある」と期待していた私でしたが、
オフラインの授業が開催されない大学生活+能動的に人とのつながりを作ろうとしなかった当時の私には、思い描いたような人間関係が築けるはずもなかったのです。
「隣の芝は青く見える」
私が生まれ育った街は、それほど田舎でもないのですが、かといってそれほど都会でもないような、絶妙な規模感の街でした。
そして人と話すことが好きな私にとって、生まれ育った街と対照的に描かれた「TOKYO」という世界的大都市は、あこがれの場所でした。
しかしいざ生活を始めてみると、
大勢の人が乗っている公共交通機関で、知らない人同士がそれぞれ世間話を始めるなんてことはまずないですし、
新たなつながりを「無理に」(キャッチ、ナンパ等)作ろうとしては、不審がられて会釈もなしに完全に無視される街ですから、
私のような人間には、思ったほど簡単には知り合いはできませんでした。
人同士の物理的な距離が世界一近いのに、心の距離は他の都市と変わらないくらいの距離感なんだな、と少し落胆したのを覚えています。
東京だって人が密集し過ぎているだけの、他と変わらない街なのかもなあ、
物事は捉え方次第です、きっと